仲達と鄧艾は急いで軍営をくまなく歩き子元の姿を探す。子元と共にいたはずの夏侯玄がおり子元の所在を問うが戦場で離ればなれになってしまったと言う。子元が行方不明になっていると知った夏侯玄が怪我を押して探しに行こうとするのを鄧艾が止める。そこへ、陸遜がぼろぼろの姿で戻って来た。後ろに子元を乗せている。陸遜は何万もの仲間を置いてきた、彼らを連れて帰っては来れなかったと嘆く…。
曹休は司馬懿が救援に来なかったせいで無残な敗北を喫したと逆恨みし仲達の軍営に乗り込んできた。お前は我が軍が敗けると分かって助けに来なかったのかと突きつけるが、仲達は元々周魴の造反が嘘だと思うと陛下の前でも言ってたし、賈逵将軍にもよくよく気を付けるよう忠告したと返す。反論できない曹休は悔しさの余り吐血する。
石亭は攻めやすく守り難い地、曹休は必ずや惨敗するであろう…諸葛亮の予見が見事に的中し馬謖は改めて敬服する。しかし諸葛亮は、戦わずして勝ち負けることを恥とせず計略を用いて戦う、追撃する陸遜を撃退した司馬懿こそが要注意だと論じる。だがその司馬懿は命令に背いたとして敗戦の責任を全て押し付けられたようだ。
魏帝の前で曹真は仲達を弾劾するが、仲達は曹休に何度も深入りすべからずと忠告したと淡々と答える。曹真は今すぐ死刑にすべきだと憤るが、魏帝はただ侍中の職を解き自宅待機を命じる。
職を解かれてむしろ悠々と過ごす仲達の元に鍾会がやってきた。鍾会は曹休が悪いのに今回の処置は納得いかないと言う。仲達は言う、魏国の兵権は曹家と夏侯家が握っている、魏帝であろうと彼らを敵に回しては国は成り立たないのだと。鍾会は今回ちょうど曹休から兵権を奪ういい機会だったのにとぼやくが、仲達は自分は生粋の文官なので兵権を得ようなどとは思わないと答える。 鍾会が帰ろうとすると司馬子上に呼び止められた。子上は父上が本当に兵権を狙ってないと思う?と言う。きっとこの次くらいに手に入れるかもよ、と。
子上は次はきっと諸葛亮が動くと言い、もし蜀に地図を持っていたら見せてほしいと言う。鍾会は子上の読みの深さに感心し快諾する。その二人の会話を、仲達は物陰でこっそり聞いていた…。
曹休はそのまま病死し司馬懿は弾劾を受けて免職された、四人の補臣のうち二人が消えて幸先がいいと喜ぶ馬謖にしかし諸葛亮は司馬懿がすぐ復職するだろうと言う。おそらく我々は彼と対決することになろう。諸葛亮は魏国新城の太守・孟達に帰順を促す手紙をわざと見つかるように送れと指示する。この手紙を魏国の間者が見れば、司馬懿はきっと兵を率いることになろう。だが気をつけねばならない、彼に兵権を渡すことは虎を思い通りに操ると同時に虎を育てることにもなるのだ…。
諸葛亮の手紙はすぐ発見され魏帝に報告された。陳群はこれは諸葛亮の計略ではないかと疑う。しかし孟達は元より何度も主君を変えているこうもりのような輩、また諸葛亮の言葉に乗って裏切るやもしれぬ、新城に兵を出すべきだと曹真は提言する。
曹真の息子の曹爽は曹家に婿として入った同年代の何晏と遊んでばかり。曹真は曹爽に同年代の夏侯玄を見習えと叱るが、曹爽は自分も戦場に出たら夏侯玄よりももっと活躍して見せると大口を叩く。すると曹真はちょうど新城への出兵話が持ち上がっているので自分の代わりに行ってこいと言う。途端に曹爽は絶対嫌だと駄々をこね、曹真はため息をつく。誰が行くにせよ、今度は絶対に負けられない…。と、曹爽は司馬懿に行かせれば負けても問題ないじゃないかと言い、曹真はまた馬鹿者と怒鳴りつける。今司馬懿は罪を問われている身で、兵権を得れば反旗を翻す恐れがあるではないか、ましてや彼と対立している自分が彼を推薦するのはあまりに露骨だ。すると曹爽は、"彼"にさせてはどうだろうと言う。
子元の子は無事誕生した。女の子であったが子元は大いに喜ぶ。そこへ夏侯玄がやって来た。夏侯玄は子元に、仲達に孟達討伐の話が来るかもしれないが決して受けてはならないと忠告する。ところが同じ頃、仲達の元には辟邪が現れ、罪を功で消すいい機会を持ってきたと言う。話を聞いて仲達は戦の経験が少ない自分にこの任務は無理だと辞退するが、辟邪は残念ながらもう遅いといって聖旨を読み上げる。「司馬懿を驃騎将軍に任命する。五万の兵を率いて新城へ向かえ。」丁度聖旨が読み上げられている最中に子元は到着し、父が聖旨を受け取る姿を見る。
仲達は任務を引き受ける代わりに、洛陽の兵ではなく宛城の兵を率いていきたいと申し出た。洛陽から新城へは二千里もあるが宛城からなら千二百里あまりだ。
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うーん…ちょっと台詞の意味がわかんねー。なんで孔明は仲達に兵を率いさせようとするんだ??
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