2017/10/5記
もう長くないと死期を悟った恵文王は姉の嬴夫人だけを枕元へ呼び、とある遺言書を託す。しかるべき時が来ればこれを詔として発令してほしいと…。
恵文王は皆の前で太子に二度と兄弟を傷つけないことを天に誓わせた。そして蕩太子に王位を継がせ樗里子が補佐することと、公子たちは皆分封しその母らは皆公子の封地へ行くようにと命じた。
その後恵文王は芈月だけを呼び、笙を所望する。芈月の吹く笙の音を聞きながら恵文王は静かにこの世を去った。
恵文王亡き後蕩太子が王位を継いだ。これが秦武王である。
宦官・馮甲から恵文王の遺書の存在を知った太后(芈姝)は何としてでも遺書を入手せよと命じる。馮甲は穆監に薬を盛って遺書のありかを教えろと脅迫するが穆監は自ら首を掻き切って息絶えた。馮甲は現場に駆け付けた穆辛をも刺し部屋中を捜索するが遺書は見つからない。あの時恵文王が会ったのは嬴夫人と芈八子のみ。きっと芈八子に渡されたのだ。
太后は芈月を呼びつけ稷公子を蜀へ封じると書かれた詔書を見せ、これが欲しくば遺書を渡せと迫るが芈月は遺書の存在など知らず驚く。芈月がしらばっくれていると見た太后は詔書を目の前で焼き捨てる。そして「親子ともども仲良く暮らせるようにしてやる」と言うのだった。
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うひゃっ。あっさりお亡くなりになった!
恵文王が退場したということは張儀もそろそろ落ち目か…悲しい…。
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