安定城に諸葛亮の大軍が迫る。安定太守は到底かなわないと見て開城し投降する。
その頃新城には司馬懿の軍が。随分と早くやってきたのは驚きだがたった5千の兵で諸葛亮と戦う気かと孟達は呆れるが、その兵が新城を攻撃していると聞いて仰天する。司馬懿は元より自分を敵とみなしていたのか、謀られた!孟達は急ぎ蜀へ亡命しようとするが、彼を見限った甥の鄧賢が投降し孟達の身柄を司馬懿に引き渡した。孟達はこれは諸葛亮の罠だと弁明するが、諸葛亮からの手紙が沢山出て来た。孟達は陛下に会って弁明したいと言い、司馬懿はでは世話になった先帝に会って弁明してこいと即刻斬首を命じた。
我らがたった八日で新城に到着し制圧しているなどと諸葛亮は思ってもみないだろう。だがこれからが本番、諸葛亮の軍才は抜きん出ていると聞く、どんな奇策を使ってくるか知れない。ともかく城の防御を固め兵を休ませよう。しかしどこか引っかかる、そもそもなぜ諸葛亮は今さら孟達を引き入れようなどと考えたのか…。
天水城に諸葛亮の軍が迫る。将軍・姜維は太守がさっさと逃げ出し行方をくらませたことを知り憤る。自分たちだけでも戦い天水を守らねば。しかし部下らは、どうせ魏国は自分たちを守ってはくれない、逃げて罪に問われるくらいなら諸葛亮に投降しようと言う。
姜維は城門を開けさせ諸葛亮を迎える…。
防衛策を練る仲達らの元に諸葛亮の使いがやってきた。使者は文を手渡す。文には「関羽将軍の魂が近くにおるように感じます」とある。仲達が使者にどこから来たのかと問うと漢中からだと答えた。孫礼らはこの手紙は、かつて孟達が関羽を助けず魏に下ったことから今回の戦を関羽の仇打ちと位置づけてるのではと推測する。
と、急報が。蜀の趙雲の軍が箕谷に現れ曹真と夏侯楙の軍を破ったと。なぜ諸葛亮はわざわざ箕谷などに兵を分ける?奴は現在漢中で、新城に向かっているのではないのか?仲達は静かに言う、これはわたしが宛城から孟達に送った手紙と同じ手だ…。
諸葛亮は南安、天水、安定を戦わずして手に入れた。それを知った魏帝は憤慨する。奴を撃退するといって出かけた曹真は、夏侯楙は、司馬懿は何をやっておるのだ!そして魏帝は自ら長安防衛へ出陣すると言い出した。
鍾会はすぐにこの事を仲達に報せるために子上に手紙を託す。子上から手紙を受け取った仲達はようやく諸葛亮の狙いを知る。新城など眼中にない、彼の狙いは元より古都・長安だ。仲達はすぐに子元と百の精鋭を連れて長安へと向かうことに。しかし叔達は、命令もなく兵を動かせばまた曹真らに弾劾されるのではと心配する。子上は曹真が敗けて長安が取られたら今度こそ父上が全権を握れるじゃないかと言い、その言葉に仲達は激怒する。長安を取られたらそれは魏国の存亡に関わること、お前には臣下の心というものがないのか!
百の兵で救援に行ったところで諸葛亮に勝てるのかと訊く叔達に、勝てないかもしれないと仲達は答える。だが仲達は以前より諸葛孔明を軍師として尊敬しており、今回長安で彼と対決できるこの機会を逃せば一生後悔するだろうと思うと言うのだった。
蜀軍営にて。魏帝は10万の兵を率い向かってきている。漢中から長安へ到る路は二本、片方は箕谷で趙雲が曹真らを足止めしている。もう片方は我が軍の補給路に使っている。この路にある要塞・街亭を守ることがこの戦の要となる。だがこの地の防衛は武力ではなく知略が求められる。と、馬謖がその任に志願した。だが将軍らは実戦経験のない馬謖にこの重要な地を任せるのは危険だと、王平将軍を副将につけるよう勧める。諸葛亮は馬謖と王平に2万5千の兵を率いて街亭を守るよう命じた。諸葛亮は目をかけてきた馬謖を心配し、何事も慎重を期し、王平とよく相談して行動するようにと言い聞かせるが、馬謖は功を建てる時だと意気揚々と出て行った。
姜維は蜀に投降した後、諸葛亮にその才を見出され側に仕えるようになったが、今回の策について街亭の守備に不安を漏らす。万一街亭を取られたら我が軍は進むことも退くこともできなくなる…。
街亭の手前の広々とした路にやってきた。ここをふさぐ様な格好で陣営を敷くのが適当だろうと王平は言うが、馬謖は路を見下ろせる山上の方がいいと登って行く。こんな山上では魏軍が攻めてきたときに逆に取り囲まれてしまうし水路を断たれれば終わりだと説くが馬謖は兵法に則れば戦場を見渡せる者が勝ちだと譲らない。
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めっさ間延びしております。「泣いて馬謖を斬る」を見せたいんだろなーってのはわかるけど、孔明先生に感情移入するには説明が足りなさすぎ。蜀の事情はこれまでも全然説明ないじゃん。三国志ファン向けだなぁ。
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