「軍師連盟」第一集

後漢末期、献帝の代。世は乱れ北方の袁紹や劉備の勢力が国を脅かしていた。漢朝廷の実権は司空・曹操が握っており、彼の専横ぶりに業を煮やした朝臣らがひそかに献帝を旗印に曹操暗殺の機会を狙っていた。そのメンバーの名を連ねた布書を「衣帯詔」と呼んだ。


司馬家の次男・懿(仲達)に子が生まれようとしていた。だが難産で、神医と呼ばれる医者・華佗は麻酔を用いて帝王切開を行い無事子供が生まれた。同じ頃、曹操はひどい頭痛に襲われ、そこで華佗が召し出された。司馬家当主・防(建公)は華佗が衣帯詔に名を連ねていることを知り、この機に曹操暗殺をと持ちかけるが、華佗は自分は病を治す者で、人を手にかけるような真似はできないと言い静かに曹府へと向かっていった。


華佗は曹操に開頭手術をするか、もしくは田舎の静かな山林で10年の静養を行う他に治療法はないと診断する。曹操はどちらも話にならないと憤慨し彼を投獄。曹操は自分を排除しようとしている勢力がいることに勘付いており、軍師の郭嘉(奉孝)に華佗の身辺を調べさせた。すると華佗は司馬防、董承と交友関係にあると判明した。


まだ科挙制度がなかったこの頃、有識者が月に一度有志を集めその才能を発表させ、その実力を認められた者が官職に推薦される「月旦評」という風習があった。曹操はこの戦乱の世を安定させるためには広く才能を募るべきだといい、楊太尉の息子・楊修(徳祖)が主宰するという月旦評を視察に行くと言い出した。衣帯詔メンバーは曹操暗殺の絶好の機会とみるが実はこれは反乱分子をあぶり出すための罠なのだった…。


華佗は司空暗殺未遂容疑で処刑された。その報せを聞いた司馬防は衣帯詔の存在がばれたのではと真っ青に。我が子と妻の恩人の死を聞いて仲達は悲しむが、しかし父が悲しみよりも恐れを抱いていることを不審に思うのであった。 楊修もまた、父・楊彪が華佗処刑の報せを聞いて動揺するさまを見て、もしかすると父が衣帯詔に加わっているのではと訝しむ。


司馬家の三男と楊家の娘は結婚する予定だったが、突然楊家から家柄が釣り合わないので婚約解消すると突きつけられた。応待した伯達、仲達は失礼だと憤慨するが当の本人は気に留めていない。婚約解消の詫びの品として金の食器などが贈られてきた。仲達は月旦評で楊修を言い負かしてやれと弟に檄を飛ばす。


月旦評には多くの人々が集まりお祭りのようになっている。司馬家へ向かう郭照の馬がこの人の多さに驚いて暴走、それを曹操の息子・曹丕が助けた。 いよいよ月旦評が開幕。主宰の楊修が女たちの黄色い声援を受けて登場、朝廷の代表として荀令君と司馬防が出席し壇上に。集った群衆の中には月旦評を観察する曹操親子と側近ら、さらにそれを狙う董承ら衣帯詔メンバー、そして弟を連れ名誉奪回のためにやってきた仲達の姿があった…。 仲達の弟・孚(叔達)はある論文の写しを発表するが、楊修はその論文は偽作と判明したと酷評する。叔達はすごすごと引き下がるが、仲達は黙っていられず壇上に上り弟の代わりに反論する。激論が交わされ曹操もその弁論に感心している、とその時掛け声が上がったかと思うと剣を抜いた男らが一斉に曹操に向かって来た!人々は逃げ惑う。だが郭嘉が合図をすると曹操の配した兵が現れ暗殺者らを一網打尽にしていった。暗殺者を指揮していた董承は捕えられ連行される。

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三国志は知ってる前提で物語は始まる。この回は仲達ほとんど出てきません。曹操がかっけー!!

Chaoyang's Ownd

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