2017/10/14記
翟驪は病み上がりにも関わらず巴蜀のクーデターを抑えに行った司馬錯の援護を引き受けて出陣。そして楚国からは弟・芈戎がやってきた。
巴蜀の情勢に見通しがたった頃合いを見計らって、芈月は各公子に今帰順すればお咎めなし、引き続き反抗するなら爵位剥奪だと布告する。
芈姝は楚へ協力を仰ぐ密書を出すが、鄭袖が息子の婚姻を破棄されては困ると焼き捨てる。甘茂は今すぐ華公子を正当なる秦国王として擁立し各公子の支援を集め咸陽へ攻め入るべきだと言うが、芈姝はここへ来て魏夫人の子である華公子を王位に就けるのが気に食わなくなってきた。だがもう時間がない。芈姝は渋々華公子を王として擁立する。華公子は旧貴族らの支援を受けて決起した。その軍営に蒙驁が潜入し、元部下らに旧法の弊害を伝える。
いよいよ芈月は華公子を反逆者として討伐軍を出す。華公子の軍からは脱走者が続出した。そして魏冉と白起がついに雍城へ突入を果たす。華公子は自ら出陣するが、明らかに分が悪いと見た甘茂はこっそり逃げ出し魏国へ向かうのだった。
宮殿に迫る軍勢に華公子は果敢に立ち向かうも取り囲まれた。潔く自害しようとするその手を一本の弓矢が貫く。それは魏冉が放ったものであった。
侍女が脱出を迫るが芈姝は自害を選ぶ。毒酒をあおろうとするが、やはり怖くてできない。
魏夫人は病が悪化し立ち上がれないほどになっていた。息子が秦王として国を統べる幻の姿を見ながら息絶えた。
かくして武王崩御後三年にわたる内乱はついに終結した。
反乱に加担した公子は総勢七名。秦の法律では反逆罪は死刑だ。しかし樗里子は甥っ子らが殺されるのを看過できない、どうか自分に免じて減刑してほしいと訴える。だが芈月は秦の新法は絶対だと突きつける。樗里子はもし死刑にするなら自分は辞職するとまで言うが、芈月はお好きにどうぞと言って立ち去って行った。
昭王も異母兄らが殺されるのはあまりに不憫だと母に直訴するが、異母兄というのは所詮助け合うことはできないのだと逆に諭された。父王と叔父の樗里子はとても仲が良くうまくやっていたではないかと訴えるが、芈月は彼らは助け合ってたのではなくただの君主と臣下の関係だと、臣下であると認め帰順した公子は良いが自ら臣下に下るを良しとしない公子は不要だと言い切る。
母が述べる事は常に正しく反論の余地はない、だがしかし、法に厳格に従うと言うのならば愛人の翟驪を特別扱いしていることについてはどう説明するのかと昭王は切り込む。
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いやいや華たん、鎧もつけずにそんな目立つ着物で先頭に立つだなんて無謀が過ぎるぜ。
そして樗里子…お達者で(´;ω;`)/~~
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