2017/10/9記
秦武王は東征へ出掛け韓国の宣陽、武遂を取りついに洛陽へ。韓国魏国は下手に抵抗せず道を開けたらしい、何を考えているのか…樗里子は無防備な秦の状況に居ても立ってもいられない。再三の頼みで司馬錯と魏冉が出頭するが二人とも心はすっかり離れており復帰する気はない。樗里子は秦の存続のために土下座して頼むがそれでも二人の心は動かない…。
五婆からホァンシエとかいう楚人が針子を詮索しにきたと聞いた芈月は黄歇だと確信し、五婆に彼を探してきてくれるよう頼む。だが芈茵の手の者も芈月の行方を追っており、五婆は黄歇を見かけるも芈月の事を伝えることすらかなわなかった。
洛陽に乗り込んだ武王は天子の象徴である九鼎の前で周天子を威圧する。九鼎はそれを持つにしかるべき資質の者の元にあるべきだと言い、もしこの重い鼎を持ち上げ動かせたなら秦へ持って帰ると宣言する。力自慢の部下が挑戦するが誰も動かせなかった。周天子の陪臣の蘇代が、九鼎が動かせないように周の天子の座は動かせないと言う。その挑発に載って武王は自ら鼎に挑む。渾身の力を込め、武王は見事鼎を持ち上げた。臣下らは喝采する。がしかし、武王は血を吐き倒れ込んでしまった。
武王がそのまま逝去したとの報せに樗里子は愕然とし秦恵后は失神する。
息子を失った悲しみと怒りで恵后は武王の側近に極刑を言い渡し丞相の補佐がまずかったのだと樗里子に八つ当たりする。そして王位には自分が育てた魏長使の子である丹陽候・壮公子を就けるように言い渡す。が、タイミング良くも悪くも王后の妊娠が判明。お腹の子が次の王だと魏夫人は主張する。しかし腹の子が男か女かもわからないではないか…。
武王の死を知れば各地に封じられている公子らが結託しクーデターを起こす可能性も無きにしも非ず。そして恵后が気になっているのは恵文王の遺書…恵后は甘茂に嬴夫人を厳重に見張るよう言い渡す。
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おっサクッと逝っちゃったね。ちょっとカワイソウ。
まぁ王になってからは暗君一直線だったけど。
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