2017/10/4記
蜀でクーデターが起こり蜀候に封じられてた奐公子が死亡。奐公子の母・唐夫人は嘆き悲しみ、前回分封されなかった通公子の母・樊長使は明日は我が身と戦々恐々とする。
まだ若い公子一人に広い地方を任せたのが敗因だ、クーデターはすぐにでも鎮圧するにして、新たな蜀候にはしかるべき参謀をつけて送り出さねば。張儀をはじめとした朝臣らは蜀候に稷公子を推し、その母・芈月が補佐すればよいと言う。恵文王もそれ以上の良策は思いつかないため、とうとう芈月親子を蜀へ送り出すことに心を決めた。
蕩公子は太子となり魏頣を妃に迎えますます図に乗る。通公子に因縁つけて散々罵倒しひどいリンチを加えた。もうこれ以上耐えられないと言う息子があまりに憐れで樊長使は意を決して王后に事の次第を訴えるが、王后はいじめられる方に原因があるのではと突っぱねる。そこへ通公子が首を吊ったとの報せ…樊長使は失神してしまった。
王后の侍従らは恵文王が激怒するだろうと狼狽するが、王后は秦国の男ならば命をかけて戦う勇猛さが最も重要であり、いじめを苦にするような心の弱い公子は必要ないと強気の姿勢を見せる。一方、蕩太子はさすがに反省して父王に許しを請うため部屋の外でずっと跪く。
恵文王の元に喪服を着て憔悴しきった樊長使がやってきた。樊長使は通公子が長年蕩太子のいじめのターゲットになっていたのは殺人蜂事件の頃からで、あの事件は王后が稷公子を暗殺しようと図ったものだと訴えた。詳細を聞いた恵文王は即座に王后の屋敷を封鎖し調査するよう命じる。
また軟禁状態に置かれた王后は芈月が傷心の樊長使をそそのかして恵文王に訴えたのだと逆恨みする。
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まぁ、樊長使が甘やかしすぎたって説も一理ある。
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