「芈月伝」第四十二集

2017/9/29記

張儀の外交によって斉国と燕国は出兵せず様子をみると応えてくれた。楚国は兵を率いて北上していたが、それも張儀の策で足止めされている。実質函谷関に集っているのは趙・魏・韓の三国22万の軍勢だ。 王后と芈月から孟嬴公主の手紙があったと報告を受けた恵文王はすぐに手紙を仕込んだ論文を提出した男・蘇秦を呼び出し事情を聞く。燕国は老王が崩御した後太子が即位したが、その実権は全て宰相が握っているという。宰相は邪魔な孟嬴と彼女の幼い息子・職公子を韓国へ人質に出し、さらに新王に王位を自分に譲るよう強要しているのだとか。蘇秦は東周出身の遊説家で、たまたま韓国にいた際に不幸な境遇にさらされている孟嬴公主を憐れに思い手紙を届けに来てくれたのだ。 燕国の待遇に恵文王は憤るが函谷関の状況が逼迫している最中燕にまで出兵する余裕はもちろんない。そこで魏冉に小隊を与え密かに函谷関を出て韓国の孟嬴母子を救出させる。孟嬴は無事戻ってきたが、途中で趙兵に見つかり職公子が奪われてしまった。趙は燕の先王の嫡子である職公子を政治利用するつもりだ。恵文王はさらに憤るがこれ以上打つ手がない。 芈月が蘇秦の論文を見ると非常に張儀と似た思想の持ち主だと分かった。おそらく一国を動かすことのできる実力の持ち主であろう。しかし似ているだけに張儀と仲良くやっていければ百人力だが、公孫衍の時の様にうまが合わなければどちらかが出て行くという結果になりかねない。芈月は残念だが彼を推挙するのは止めておく事に。 孟嬴は手助けしてくれた蘇秦にお礼がしたいが、彼は金銀財宝にはまったく目もくれない。せめて士官させてあげたいと思うが父王は蘇秦に会おうともしてくれない。芈月にそれとなく提案するが彼女も蘇秦の才能は認めているのに推挙には消極的だ。そのがっかりした様子を見た王后は孟嬴の元を訪れ、芈月は親友である張儀のために蘇秦を推挙しないのだと教えてやる。と、王后は孟嬴の様子から彼女が蘇秦に惚れている事に気がついた。 * * * * * また蘇秦と張儀の時系列が逆転してると思ったら、史記で最初に張儀を手助けした人物は実は蘇秦ではないという説が有力らしい。司馬遷先生が全て正しいとは限らないのだ…。

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