「芈月伝」第八十一集(大結局)

2017/10/19記

趙の使者・藺相如が和氏の璧を持ってやって来た。昭王が自分を元気づけるために15の城と交換に和氏の璧を手に入れようとしていると知った芈月はとんでもないことだと怒り、そんなものを贈られても一切受け取らぬと伝えさせる。昭王はがっかりするが、庸芮は15城をやらなければ太后も喜び大団円ではないかと言い出した。(※つまり借りパク) 趙が無償で献上したと持ってこられた和氏の璧を見て芈月は相好を崩す。かつて張儀がこれを手に入れたら粉々に壊してやると言ってたから、彼が生きていないことは幸いであったと笑う。だが後日和氏の璧を一旦返してほしいと連絡が。藺相如からこの宝玉に微細な傷があると聞いた昭王が検めてみたいというのだ。 運ばれて来た和氏の璧を手にした藺相如はやにわに宝玉を振り上げ、15の城をくれるという約束を反故にするなら宝玉は渡せない、今すぐ砕いてやると言い出した。昭王はしぶしぶ地図を開いて譲渡する城を指し示す。五日後改めて儀式を行い和氏の璧を渡すと言われたが、その間に藺相如は宝玉を趙へ持ち帰らせてしまった。昭王は怒りすぐに釜茹での刑にしろと命じるが、そこへ太后が現れた。藺相如を殺したとて宝玉は手に入れられぬ、さらに趙国との関係も悪化するのみ。生かして帰すべきだと言うのだった。 そして10年、秦は着実に領土を広げ、白起は楚を攻め都を落とした。屈原は先を悲観して河に身を投げる。東へと追いやられた楚王は春申君に封じた黄歇を宰相とした。 屈原の遺作の抄本が芈月のもとに運ばれて来た。そこには故郷への愛と、それが奪われて壊されて行くことへの悲しみが綴られていた…。 さらに月日は流れた。孫の柱公子の学友の中に若かりし日の黄歇にそっくりな青年を見かける。魏丑夫という名のその青年を芈月は自分の側仕えにさせた。偶然なようだったが、実は彼女の心を癒すために昭王に命じられた庸芮が黄歇にそっくりな男を探し連れて来たのだった。 春申君から太后宛てに手紙が届く。芈月はその手紙を魏丑夫に読み上げさせる。まるで本物の黄歇が喋っているようだ。手紙で彼はかつての口論を詫び、宰相となった今その苦労が身に染みてわかると言っていた。 芈月は翟驪が葬られた山を驪山と改名し、後々自身の墓もここへ作るよう命じた。 芈月が世を去って18年後、13歳の嬴政が秦の王位に就き、その26年後には天下を統一し帝を称した。これが世に言う始皇帝である。(終)

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この回いらなくね?完璧帰趙とかまっったく不要じゃね?翟驪死んだ後ささっとナレーションで片づければよかったのに。これが陳軫先生おっしゃるところの「蛇足」ですな・・・。(本作品に陳軫は出てきませーん。)

Chaoyang's Ownd

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