「芈月伝」第七十四集

2017/10/16記

義渠らは城外での野営生活によって草原らしさを取り戻し不満を解消するが、この案が実は太后ではなく黄歇のアイディアだという噂を聞き、腹を立てた翟驪は黄歇の滞在する宿に乗り込む。黄歇は留守にしていたが宿の主人の話では黄歇は頻繁に宮殿に出向いているらしい。 帰って来た黄歇に翟驪は目障りだから楚へ帰れと吐き、口論になりかけるがそこへ現れた芈月が止めた。 芈月が昔の男に浮気していると大喧嘩になり翟驪は義渠らを連れて草原へ帰って行ってしまった。芈月は国政を樗里子と庸芮に任せ、後を追って草原へ。翟驪はやって来た芈月が自分の子を妊娠していると知ってすぐに機嫌を直し、二人は義渠式の結婚式を執り行う。 太后が義渠の子を妊娠していると後宮で噂になり、それを聞いた昭王は激怒。しかし王后は、どうせ太后には逆らえないのだから何も知らないふりをするべきだと諌める。 噂はしかしあっという間に城中に広まった。太后から善処するよう言われた庸芮は困り果てる。相談を受けた黄歇は朝議で太后の妊娠が追及されたら相手が誰かはわからないと答えさせてはと勧める。古代の聖王は神の鳥から生まれたとされているではないか、相手なく子ができることとて無いとは言い切れないだろう。 その三日後の朝議にて。朝堂は太后のスキャンダルの噂でもちきりだ。だが芈月は自ら妊娠したと発表、朝臣らはざわめく。芈月は数か月前に夢に恵文王が出て来て子孫が少ない事を憂いていた、目覚めると妊娠していた、恵文王が夢で子を授けてくれたのだと言った。朝臣らはふざけるにも程があると呆れ騒ぎ、嬴公家を貶めるその所業に樗里子は憤慨する。だが魏冉と白起が前に出て姉や姉の子に手を出す奴は許さないと威嚇。庸芮が斉国の君主であった姜公家が田氏に乗っ取られた歴史を引き合いに出し、生まれて来る子が嬴公家の血筋であろうとなかろうと秦国公子公主に違いないのだと説く。 * * * * * はぁぁ・・・孫儷のお芝居見ててイタイ。シリアス劇は無理だねこの子。かわいいけど芝居はダメだぁ。

Chaoyang's Ownd

主にメモ書きです。 アメブロ→https://ameblo.jp/somethinglong/

0コメント

  • 1000 / 1000