「芈月伝」第四十三集

2017/9/30記

蘇秦はついに諦め故郷へ帰ることに。後を孟嬴が追って来た。蘇秦は彼女に子供を取り返すための鍵となるのは斉国だと策を授け去って行った。 孟嬴はすぐに父王に蘇秦の策を話す。蘇秦の知略を知った恵文王は蘇秦を呼び戻そうとするが、そこへ王后が現れて制止する。蘇秦と張儀はよく似ていて公孫衍の時の二の舞になると。それを聞いて恵文王は考え直し蘇秦を追うのは止めた。さらには王后は張儀を嫌っているとの専らの噂なのに私怨を越えて彼を立てるような発言をしたことに感心し、彼女の評価を 高めたのだった。 父王は蘇秦を呼び戻すと言ってくれたのにやっぱりやめになったのは芈月が唆したからだと思った孟嬴は一方的に絶交、芈月は彼女がまだ精神的に不安定なせいだろうと考える。 函谷関で秦は合縦軍に大きな痛手を与えることに成功。司馬錯将軍の下で魏冉はまたもや大きな功を立て、恵文王は彼に爵位を与え将軍に取り立てた。 蕩公子はやんちゃで怖いもの知らず。服を破いたり怪我してくることもしょっちゅうだ。王后は心配するが恵文王は勇気があり男らしくて良いと褒める。王后は恵文王の印象が良い今のうちに息子を太子につける根回しを始める。まずは同胞の重臣・甘茂を味方につけ、邪魔な張儀を追い出す事からだ。 蕩公子は自分が将来の太子だと威張り散らし、ある日義兄である通公子の犬を殴死させ通公子にも大怪我させる。子供同士の喧嘩であり恵文王に直訴しても怒られるだけだ、通公子の母である樊長使は泣き寝入りするしかない。樊長使と通公子が不憫で芈月は王后に蕩公子の所業を告げるが、蕩公子がずっと年上の通公子に勝てるわけがない、悪意ある嘘だと激昂するだけだった。 * * * * * まあ芈姝は散々酷い目に遭って来たから性格ひねくれるのも無理はない。というか随分と辛抱しててひねくれてくるのも遅かったから、基本的に良い子なんだよねぇ。性善説を地で行く子だ。

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